チャチャク (Čačak)
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チャチャクの周辺には特徴的な地形があり、そこには14世紀から建てられた300の僧院があったが、今日では12が残るのみである. この地域は「セルビアのアトス山」と呼ばれることもある. 現在の呼称であるチャチャクは1408年からのものでそれ以前はグラダツ(Градац)と呼ばれていた. グラダツの指導者であるや兄弟のステファン・ネマニャはセルビアの重要な支配者であった. ザヴィドヴィチは今でもチャチャクの中心に建つ聖母教会を建てている. 教会のファサードは震災での損害後、2010年から2011年にかけて再建されている.
1459年からオスマン帝国によってセルビアが独立を失っていた1718年までの期間と、1739年から1878年までの間、チュチャクはオスマン帝国の一部となっていた. 1718年から1739年にかけての短期間、チャチャクはハプスブルク君主国の南部にあった. チャチャクは1815年のの時には激しい戦いの場であった. リュビチ丘の一番高い地点は蜂起の大きな戦いが起こった場所であり、現在は町を守るために戦死したの記念碑が建てられている. その後の1817年、セルビアはオスマン帝国から自治を与えられた. それから61年後、セルビアは独立国となった. 1882年にチャチャクはセルビア王国になり、1918年から2003年までユーゴスラビアの一部であった. 2003年から2006年にかけてはセルビア・モンテネグロ、2006年からはセルビア共和国に属している. 第二次世界大戦中の1941年には、チャチャクは建国後早々にナチス・ドイツによって滅ぼされた短命国家の領域に含まれていて、その東部にあった.
チャチャクの自治体はセルビア西中部にあり、首都ベオグラードの南144kmの場所に位置する. もっとも近い国境はボスニア・ヘルツェゴビナとの間のものである. モラヴィツァ郡の中で、この自治体は中心地としての特徴を全て備えている. 大部分がの西側に位置し、チャチャクは北のの丘陵地と南の内陸の高地とをつないでいる. これらの山々はチャチャク盆地や市街地、モラヴァ川に向かって緩やかに波打った形で傾いている. 自治体の面積は636km2あって、そこには海抜204~300mのチャチャク盆地、300~500mの丘陵地帯、西の(985m)と(889m)、南の(929m)、北東の(857m)といった山々がある.
地図 - チャチャク (Čačak)
地図
国 - セルビア
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セルビアの国旗 |
同国は、嘗て存在したユーゴスラビアに属していた地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国家であった.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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RSD | セルビア・ディナール (Serbian dinar) | дин or din. | 2 |